第4回歴史探訪ウォーキング会
『鎌倉文士も愛した長谷と鎌倉大仏、そして稲村ケ崎へ』


■平成29年11月21日(火)
 ■参加人員  11名



4回目は古都鎌倉へ。当日はJR鎌倉駅東口・観光案内所横に午前950分に集合。
参加者は男性のみ
11名。天候は快晴。絶好のウォーキング日和。早速駅横の地下道を
通り西口に回って「御成通り」からスタートする。

 最初のポイントは「六地蔵」。鎌倉時代の刑場跡に罪人の霊を弔うために、亡者を
六道
(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天)から救うために祀られたもの。
 5分ほど歩くと、伝統工芸品『鎌倉彫』の店「寸松堂」。国登録有形文化財の1936
(
昭和11)年建築の寺院建築と城郭建築を合体させたような店舗併用住宅の建物は、今
も笹目町・長谷界隈のランドマークとなっている。

 ここから先、狭い道の住宅街へ入る。いかにも鎌倉にふさわしい住宅が続く。その
中に、少女小説から家庭小説、『徳川の夫人たち』などの歴史小説まで幅広く活躍した
女性作家、吉屋信子
(18961973)の旧居「吉屋信子記念館」が見えた。残念乍ら当日は
閉館中のため外部からの見学のみ。



 引き続き住宅街を歩き、「鎌倉文学館」へ。旧加賀藩前田侯爵家の元別邸。佐藤栄作
元首相が別荘として使用したことも。格調高い国登録有形文化財の建物は、西洋木造建
築ハーフティンバー様式とスパニッシュ様式を基調とし、館内には華麗なアールデコの
装飾が残る。ベランダからは相模湾が一望できた。ここで、
45分ほど時間を取り、館内
では展示物である鎌倉ゆかりの文学者の文学資料に目を通し、外の庭では開花中のバラ園を見学する。

 次は「甘縄神明神社」。8世紀初めの創建で、鎌倉で最古の神社。
急な石段の登り口の横には『北条時宗公産湯の井』があった。


ここからいよいよ本日の中心部へ。まずは浄土宗の寺院、「高徳院」へ。国宝にも指
定されている銅造阿弥陀如来坐像
(『鎌倉大仏』/像高約11.3m・重量121t)は『露座の
大仏』として名高い。平日というのに多数の人々。外人観光客や修学旅行生が目立つ。
ここでも少し時間を取り、境内にある歌碑、モニュメント等ゆっくり見学。
正午を過ぎ腹が減ってきたが、次の長谷寺まで我慢して歩く。

 「長谷寺」に着く。1時間余の滞在時間をとる。境内の建屋・持仏等の見学は後回し
にしてまずは見晴らし台へ。そこでテーブルと椅子を確保し、青空のもと陽をいっぱい
浴びて、鎌倉の街と海を一望しながら、各自持参した弁当・おにぎり等で昼食をとる。
腹を満たしたところで更に階段を上り、高台の眺望散策路へ。
なお、一層美しい景色が眼下に広がる。このあとは各自、本堂(観音堂)の高さ
9.18mの『十一面観音』や阿弥陀
堂の『厄除阿弥陀』を拝観、地蔵堂・大黒堂・弁天窟なども巡る。
1320分全員の集合を確認して出発。

 次の「御霊神社」は江ノ電の踏切のすぐわきに鳥居が建つ。鎌倉武士団を率いて現在
の寒川町・茅ケ崎市・藤沢市にまたがる湘南地方を治めた鎌倉権五郎景正を祀る古い神社。

 続いては極楽寺切通の下にある「星ノ井(星月夜ノ井)」鎌倉十井の一つ。
僧行基が建てたという「虚空蔵堂」が隣接する。

 さらに極楽寺切通を上ったところにある1219年北条泰時建立の「成就院」へ。
本尊は不動明王。高い階段を登りきったところからの由比ガ浜の眺望は素晴らしかった。

 ここからは下りの道。茅葺の山門を入ると桜並木が続く「極楽寺」、1333(元弘3)
鎌倉攻めの折、極楽寺坂の激戦で戦死した新田義貞軍の武将
11人を慰霊する「十一人塚」
を経て最終ポイント「稲村ケ崎海浜公園」へ。ここは新田義貞が、海中に宝剣を投げ入れ、
潮が引いたところを一気に鎌倉に攻め入ったという伝説が残るところ。『七里ヶ浜哀歌』
で知られる
1910(明治43)年起きた旧逗子開成中生徒の海難事故の慰霊碑も建つ。海浜
はサーフィンのメッカであるが本日はサーファーの影はなし。また岬の頂上には細菌学の
祖といわれるコッホ博士の記念碑も建つ。ここからの富士山の眺めは最高であった。

 本人の都合で一人が途中極楽寺駅から戻ったが、
残りの
10人全員ゴールの江ノ電『稲村ケ崎駅』に無事予定通り1520分に到着。
 ここから全員「反省会」会場のある『藤沢』へ江ノ電に乗って移動。
晴天に恵まれたウォーキング会の反省会は盛り上がった。