日本冶金社友会関西支部 第2回歴史探訪

「復活した尼崎城と各宗派が混在する寺町散策」



尼崎城をバックに記念撮影
(写真左から)樋口、中山、安楽、川上、川崎(敬称略)


日 時 ; 2022年11月16日(水)

  コース ; 阪神尼崎駅(10時集合) 尼崎城  櫻井神社 旧尼崎警察署 

   初島神社(時間の都合で中止) 寺町  尼崎駅前で昼食後解散

  参加者 ; 樋口孝一、中山崇、安楽和徳 川上重之、川崎絋一郎 (敬称略)


風が少し冷たいが、歩いていると暖かい日差しの中、下記のコースで楽しく歩いてきました。
今回は、ガイド無しで我々だけで散策、


尼 崎
  漁業など海に関わる仕事に就く人々を表す「尼」に地形を表す「崎」を合わせた地名で、
元は現在の阪神大物駅以南周辺の臨海部を指していた。

  古くから、飛鳥・京都と西国・朝鮮・中国を結ぶ海路の港町として、京都からの西国街道、
大阪からの中国街道が交差する陸路の要衝として栄える。


尼 崎 城
  大坂夏の陣後、江戸幕府は大坂を直轄領として西国支配の拠点とするため、元和3(1617)年、譜代大名・戸田氏鉄(うじかね)を
尼崎藩主に封じ、新たに尼崎城を築かせた。城は甲子園球場の約3.5倍にも相当する広大さであった。明治6(1873)年の廃城令後に
取り壊されるまで約250年もの間、「琴浦城」の名で親しまれた。



現 尼 崎 城 (駅から)南東へ数分)
  家電量販店 旧ミドリ電化の創業者・安保栓(あぼうあきら)氏が「創業の地に恩返しがしたい」と、
約12億円の私財を投じで天守を再建、市に寄贈され、平成31年にオープン。

  入場料500円を払い、エレベーターで5階迄上がり、尼崎の街並の眺望を楽しんだ。
各階の展示物・資料を観ながら1階迄降りた。 20分滞在



櫻 井 神 社 (尼崎城から南方7~8分)
  正徳元年(1711年)の転封から幕末まで尼崎藩を治めた櫻井松平家(松平氏、明治以降は櫻井氏に改姓)の、
初代信定公から16代忠興公までを祀る。創建は明治15年に、旧藩士の有志が歴代藩主の遺徳を偲び、旧尼崎城の
西大手橋東詰に建立、その後昭和36年現在地に遷宮、本殿及び拝殿は建立当時のものである

  忠興公が設立に関わった博愛社(後の日本赤十字社)の記念碑が境内にある。


旧 尼 崎 警 察 署 (桜井神社から東へ5分)
  大正15年竣工の旧尼崎警察署は、兵庫県が大正期以降県内各地に建てた鉄筋コンクリート造警察署庁舎のひとつで、
ドイツ近代建築様式「セセッション式」の建造物と言われている。この旧 尼崎警察署は、大正15年(1926年)に尼崎城跡の二の丸に建設され、
昭和45年に移転するまで、警察署として使われていた。その後、平成7年の震災まで、城内児童館等に使用された。



寺  町 (旧尼崎警察所から西へ約10分)
  元和3年(1617年)膳所藩から尼崎藩へ移封された戸田氏鉄が尼崎城の築城に際し、大物(だいもつ)周辺に多くあった寺院を別所村に
集めて一画を寺町とした。町から距離を置いて、寺院の
影響力を弱めると共に厚く高い塀に囲まれた寺院を配置して、城に対する防御の役割を持たせた。
  江戸時代の20ケ寺が、現代も3.9haに11ケ寺(寺町に国重要文化財は市内11件中7件)が残る。11ケ寺(全昌寺・本興寺・法園寺・大覚寺・
長遠寺・如来院・専念寺・常楽寺・善通寺・専念寺・広徳寺)を巡り寺町散策を終了した。時間の関係で各寺院を細かく回ることができなかったが、
再度 訪ねてみたいと思いました。

  *その後は、お楽しみ駅ガード下の居酒屋で昼からご機嫌に、和気あいあいと語り合い、今回の散策はお開きに!     関西支部 理事 歴史探訪担当 川上 重之