文化財としての加悦鉄道車輌群(その1)
                                              篠崎 隆

  明治5年(1872) 新橋、横浜間の鉄道が開業して以来、数多くのローカルな鉄道が敷設
され、そして消えてゆきましたが、大正15年(1926)に開業し、昭和14年(1938)に日本冶金
グループの傘下に入り、そして昭和60年(1985)に廃線となった加悦鉄道ほどその誕生の由来、
そして経緯、廃線までの経過及び廃線後の取組み等について、波乱に富んだユニークな鉄道は
少なく、また偶然なる仕業か定かではありませんが、使用されてきた車輌の多くがそれぞれに
特徴があり、また希少価値を有するものであるという、他に類を見ない鉄道でもありました。
そして廃線から25年が経過しましたが、日本冶金グループの皆様のご支援を受けて、加悦鉄道
で活躍した車輌のうち、17輌もの車輌が現在「加悦SL広場」に保存されています。このうち
明治6年(1873)製の2号機関車は、車輌台帳とともに国の重要文化財に指定され、また明治、
大正時代の9輌は、日本産業考古学会の推薦産業遺産にも認定されています。旧加悦町(現与
謝野町)では、この9輌の他に昭和11年(1936)製の気動車(ガソリンカー、ディーゼルカー
を総称して一般に気動車をいう)キハ101を加えて町の文化財と指定しています。

  加悦鉄道で使用し保存されている車輌(輌)

製造された時代   明 治 大 正 昭 和  計 
蒸気機関車 1    2   0   3
ディーゼル機関車   0    0   3   3
 気動車   0    0   4   4
付随客車   3    2   1   6
有蓋貨車   0    1   0   1
    計   4    5   8   17

      
          加悦SL広場 2010年
 
今回は保存車輌のうち、昭和11年(1936)に加悦鉄道が新製した気動車「キハ101」を
ご紹介します。

 
現存する国内唯一無二の片ボギー式気動車「キハ101

 昭和初期の非電化路線では、動力車は蒸気機関車が主流でしたが、乱立してきたバス会社に対抗す
るため列車を増発すべく、頻繁運転することに向いたガソリンカーを採用する中小私鉄が増加して
きました。また、蒸気機関車に比べてガソリンカーは初期投資費用が安いなど、総合コストでも有利
であり、且つ性能も向上してきたこととも採用増加の理由の一つであったと思われます。

     加悦SL広場にて        運転席  固定車輌(駈動軸)とボギー車を履く

 加悦鉄道は大正15年(1926)12月に、動力車を蒸気機関車として開業しましたが、来るべく
10周年を記念して、時代の趨勢となってきた運行効率の良いガソリンカーを導入すべく、昭和9年
(1034)10月に、尾藤庄蔵専務他3名が別府軽便鉄道(後の別府鉄道(兵庫県)、軌間1067mm、昭和
59年(1984)廃線)及び下津井鉄道(後の下津井電鉄(岡山県)、軌間762mm、平成3年(1991)廃線)
を訪問し、両社で使用していたガソリンカーの現地調査を行いました。その結果は、日本車輌製ボ
ギー台車(車体長を大型化しても曲線通過に支障がないよう車体とは独立してある程度回転でき
る機構を採用した通常は2軸の台車)のガソリンカーに好印象を持ったようでありました。
 そして1年半後の昭和11年(1936)6月の重役会で「ガソリンカー購入に関する件」として,
”日本車輌会社より提出せる見積りのものを購入することとす、価格は日本車輌に赴き極力折衝
することとし 社長、専務近日出張の上取り決めを一任す”と決議されました。

        
               1936年 日本車輌

 日本車輌に対し提示した「ガソリンカー」仕様はどのようなものであったかは不明ですが、年間
30万人もの乗客があり、丹後ちりめんの生産も活況を呈していた当時のことを考慮すれば、「ガソリ
ンカー」に客貨車の牽引能力を具備させることは必然であったと思われます。
 日本車輌より提出された見積仕様は、駄知鉄道(後の東濃鉄道駄知線(岐阜県)、軌間1067mm、昭
和49年(1974)廃線)キハ23の図面によるものであり(湯口 徹著「内燃動車発達史」)、とその
概仕様は、車体幅2400mm、実長9000mm、両荷台付,半鋼製、シャロン式自動連結器、両ボギー台車1軸駆
動、機関:米国ウォーケシャ6SRL(78HP/1500rpm 当時としては最大級の出力)でありました。
 しかし最終的に決定されたのは、自動連結器はシャロン式から水津式に、台車は両ボギー1軸駆動
から片ボギー(ボギー台車と固定車輌(駆動軸)をそれぞれ1組ずつ備えた形態のもの)に変更した
ものでした。その理由は、粘着力を上げることができ且つ軽量になり、また加悦鉄道線路状況からみ
て片ボギーでも乗り心地には影響ないとの判断であったようです。自動連結器も並連を使うほどの
強度を必要とせず、簡易型では連結運転が危険であるため、ある程度強度のある軽量の水津式を採用
したものと思われます。そして昭和11年(1936)11月、日本車輌製で水津式自動連結器を持った両荷
台付、半鋼製の片ボギー式ガソリンカーが誕生したのです。

            
             
貨車を牽引する キハ101 1956年丹後山田駅

         
     1953年 丹後山田駅                   1961年  水戸谷駅

 戦時中は石油代用燃料使用装置を装着し、終戦後もガソリンカーのままで過ごし、昭和43年(1968)
に、三菱日本重工製の中古ディーゼル機関(DB-7A、昭和31年(1956)製)に換装しました。そして
昭和49年(1974)から休車となって眠っていましたが、平成16年(2004)にNPO法人加悦鐵道保存会
の手により動態化され、加悦SL広場園内で年2回程度の展示運転を行っています。現在国内には、片ボ
ギー式気動車は「加悦鉄道キハ101」の他は存在せず、水津式自動連結器も唯一です。しかも稼働状態
にあるということで産業遺産として高く評価されています。しかし機関の劣化が激しく、その保守に
難渋しているのが現状です。               
                       

            

文化財としての加悦鉄道車輌群(その2)