森 矗昶、「房総人物列伝」に登場
       ―私にとっての房総・丹後・東京湾―
                                高嶋 勇

 私は昭和36年に入社し、丹後の大江山製造所(当時)が私の最初の勤務地に
なりました。そして、7年後の43年に本社に転勤、八千代市の社宅に入り、その後
いまの千葉市に移りましたが、私は八千代以来41年間を房総で過してきたことに
なります。
1.「房総人物列伝」とは
  その房総・千葉市で最近こんなことがありました。千葉県には、県内外の歴史研
 究者・愛好家が会員になっている千葉歴史学会という集まりがあり、千葉大学が
 幹事役をつとめて『千葉史学』という研究発表誌を年2回発行、ときどき特集号を
 刊行しております。
  先日あるところで、今年5月発行の特集号『房総に生きた人びとと歴史』(写真@)
 を手にすることがあり、思わずこれは!≠ニ驚きの声をあげてしまいました。

写真@

 古代以来の房総の歴史上の人物、35人中の一人として、森矗昶(敬称略)が登場
 していたからです。そのあと、大げさでなく、うれしさがじわっと湧いてきました。
   これを皆さんにお伝えしなくては。研究者が書いたものではあるが、子供でも
 すんなり読める工夫もしてあるし。こんなことで、以下この冊子をめぐるあれこれを
 紹介することにした次第です。
2.私と丹後、そして森矗昶
   森矗昶のことですが、私は、入社前は知識を全く持ち合わせていませんでした。
   なにしろ、入社試験の役員面接のとき、「社長のお名前はモリ・アカツキで・・・」と
  答えて、森社長ほか皆さんの爆笑を買ってしまったぐらいでしたから。
   そういう私と仲間の新入配属者たちは、大江山の入所教育の場で、社長の父君
  である森矗昶を知ることになりました。たしか富田製造所長に皆が案内された工場
  応接室に、矗昶の写真と矗昶揮毫の「鉱業報国」の額(写真A)が掲げてあり、
  その二つを見て、 私が一種の感動を覚えたのをいまでも思い出します。

写真A

    森矗昶は昭和9年に大江山ニッケル鉱業を設立しましたが、16年に生涯を閉じ
  ていて(写真B)、戦時中・戦後とも、大江山ニッケル工業(改名)あるいは吸収合併
  後の日本冶金工業(大江山支社)の経営を統括することはなかったのです。

写真B菩提寺・本寿寺

    ですが、 入所時の小さな感動のおかげでしょうか、私はその後、熱いロータリー
  キルン(写真C)を間近かに見上げたり、地元の人が製造所のことを「ニッケルさん」
  と呼ぶのを耳にしたりするたびに、矗昶の事績というものへの認識を新たにすること
  ができるようになったと思います。

写真C

3.房総で書かれた森矗昶像
    退職後、森矗昶のことがすっかり浮かばなくなっていた3年前のいまごろ、ある
  新聞の千葉版のページに「ヨウ素の国内最大手が県内で工場増強―液晶TV向け
  の需要拡大で」と出ているのを見て、40年前の矗昶への関心が覚まされるのを
  感じました。―このヨウ素というのは、森家が夷隅郡守谷村(写真D)の家業で製造
  したあのヨードのことなのか・・・。この記事は、今回の「人物列伝」に出合うのに先
  立って、誰かが張ってくれた伏線だったかもしれません。

写真D勝浦市守谷海岸

    森矗昶について房総の人が書いた書物がもちろんなかったわけではありません。
  しかし、例えば山川出版社の『千葉県の歴史』(2000年)では、政治家矗昶に触れる
  だけでしたし、千葉県発行の『千葉県の歴史 通史編近現代2』(2006年
)は、実業家
  兼政治家
矗昶を詳述するものの、専門的かつ1000ページ4700円という大冊です。あと
  房総人ではないが城山三郎の小説『男たちの好日』がありますが、これは30年ほど
  前に出たものなのです。
    このように、この10年ぐらいの間に、内容が的確、平易で、手ごろな値段で手に
  することができる伝記風の本は、出ていなかったように思います。
   「人物列伝」森矗昶の章「森矗昶(1884〜1941)―カジメ焼きから森コンツェルン
  へ―」では、昭和電工の誕生や昭和火薬のことが出てきますが、大江山ニッケル
  や日本冶金との関係に直接触れることはありません。これは、枚数を限った記述と
  してはやむをえないことと思われます。
   ところが、本章中の、長野県大町のダム建設工事中に刃傷沙汰の争いを素手で
  止めたという逸話の紹介や、他の執筆者による「少年時代からの実学で、知識と
  技術を習得し、化学工業の先達となったたたきあげの実業家であった」というまとめ
  の評価を読むと、あの写真や揮毫の書から受けた印象を、ぴたりと言い当ててくれて
  いるような気がします。
4.「人物列伝」についてもう少し
   冊子『房総に生きた人びとと歴史』の登場人物はあと30人ほどおります。よく知ら
  れた人物としては、平将門・千葉常胤・本多忠勝・伊能忠敬・菱川師宣・鈴木貫太郎
  ら男たちのほか、真間の手児奈・養珠院お萬の方など美しく才ある女性たちが、
  わかりやすく紹介されています。
   「200ページ、2000円(送料発行元負担)と少し高目ですが、希望される方は、次の
  宛て先に注文して下さい。
  (ハガキ)〒263-8522千葉市稲毛区弥生町1−33千葉大学文学部内千葉歴史学会
  (メール) http://www.history.1.chiba-u.jp/~chibareki/ 」
(おわりに)
    今年は横浜開港150周年、さかんに祝賀行事をやっています。房総と、東京湾を
  はさんで対岸にある相模・武蔵とは、森家・鈴木家の協調の例を見るまでもなく、
  古くから人々が交流する歴史を重ねてきました。ということで、150周年は房総人と
  してもうれしいことで、これからは「相武」から見た歴史も勉強していきたいなと考え
  ています。皆さん、参考になる情報をお聞かせ下さい。
   このページ作成に当っては、YAKIN大江山の山崎社長、勝浦在住で元行川アイ
  ランドの中村昭さんほか皆さんから資料提供・アドバイスをいただきました。この場
  を借りてお礼申し上げます。