当社の創業家であり、日本冶金工業㈱元社長 森 曉様のご長女である
森 美香様(社友会だより第30号に父上の想い出をご寄稿いただきました)
の御厚意により、貴重な森家のアルバムをお借りしました。
その中の一部を皆様に御覧いただきます。
①東久邇宮様川崎工場ご視察 昭和15年7月
日本火工(当時の社名)は、昭和9年より川崎市大師河原の7万坪の用地を
購入し、川崎工場建設を開始した。昭和10年にはステンレス鋼初出鋼。
昭和14年には、製鋼・溶解・鋼板等の主要工場、設備が完成。
また、軍の監督工場の指定を受けました。
そのようななか、15年から19年にかけて皇族や大臣等の視察があり、激励を
受けた。(東久邇宮様の他に、商工大臣岸信介、陸軍少将坪島文雄(天皇陛下
ご名代)、朝香宮鳩彦親王)
東久邇宮殿下川崎工場ご到着 |
製鋼工場へ入られる宮様 | 左から森社長、松永工場長、 東久邇宮殿下 |
|
左写真;製鋼工場(現在の第5 製品倉庫)、左 溶鋳工場、 右 鋼板工場・・昭和17年当時 |
|||
②川崎製造所 60t炉火入れ式 昭和43年1月
この年は、第1次設備合理化(S 32~)、第2次合理化(S41~)そして第3次合理化計画
の最終年にあたり、それまでのNO.1ZR、第2製鋼30t炉、NO.1CCM、プラネタリーミル等の
主要設備が整ってきた時期でもある。その翌年(S44)30万トン生産体制計画を発表しました。
|
||||
③ナスステンレス初荷風景 昭和43年1月 於:ナス川崎倉庫
昭和35年㈱ナスステンンレス製作所設立。昭和36年大船工場完成。翌37年より本格的にステンレスキッチンの
販売が始まる。折からの台所からダイニングキッチンへと生活様式の変化、シンクのステンレスの品質の良さが
重なり、また通産省のグッドデザイン商品に選定されるなど販売を大いに伸ばし、ステンレスキッチンといえば
ナスステンレス!と消費者からの高い評価を得るようになりました。
④ニッケル鉱石専用運搬船『玉龍丸』進水式・竣工記念レセプション
昭和39年4月進水 10月竣工
鉱石専用船として4隻目となる「玉龍丸」はそれまでの9000tクラスから、輸送コストの合理化を
図るため15,400tクラスへと大型化された。進水式では森社長のご長女、美香さんが支綱を切った。
竣工披露レセプションには、ニューカレドニアへどうしても行きたい!と頼み込んだ「森村 桂」さんも
招待された。森村さんはついに玉龍丸に乗ってニューカレドニアへ行き「天国に一番近い島」を発表
して一躍有名作家となりました。
玉龍丸 15,471キロトン | 進水式 S39.8.4 竣工 S39.10.21 | 進水式で支綱を切る美香さん | 進水式 手前が美香さん後ろにご両親 |
![]() |
|||
竣工レセプション 芝浦A埠頭 | 竣工レセプション これから玉龍丸 に乗り込む森社長 |
船上デッキ、右から森社長 太平洋汽船小山専務、 上半商事上野社長 |
竣工レセプション、船上デッキにて 右から、森社長・渡辺秘書・森村桂さん |
⑤海外へ、そして海外から
昭和40年代前半にから、当社の輸出量は増加の一途を辿り、42年には20,400tであったものが、45年には61,200tと
3倍に達した。これはPLミルの完成を機会に、ホットコイルの安定輸出に成功したことによるところが大きな要因となりました。
海外へ、そして海外から多くの賓客を迎えました。
S48.11アルゲニードラム社会談(ピッツバーグ) 前列右から、三木常務、菅野副 社長、森社長、青山取締役 |
S49.11クルゾロワール社前。 右から富山氏、P.Legendre氏、森社長、 吉武部長、三木専務、鈴木章介専務 |