文化財としての加悦鉄道車輌群(その3)
篠崎 隆
加悦鉄道が、大正15年(1926)12月の開業に合わせて準備しようとしていた車輌は
全部で8輌でした。内訳は、中古の蒸気機関車2輌(スチーブンソン社製2号、コッペル
社製3号)、付随客車3輌(新造の梅鉢鉄工所製ハ10、中古のファン・デル・チーペン
社製ハブ3、中古の名古屋電車製作所製フハ2)、有蓋貨車1輌(新造の梅鉢鉄工
所製ワブ1)、無蓋貨車2輌(新造の梅鉢鉄工所製ト1、ト2)でした。
しかし、購入手配していた付随客車3輌のうち中古の2輌は修繕が必要で稼動でき
ないことが判明し、急遽神戸鉄道局より蒸気機関車1輌、省有客車1輌並びに緩急
車(手ブレーキを備えた客車)1輌を借り入れて開業に間に合わせるというあわただしいス
タートでした。借入れた車輌の明細については、その記録がありません。
<大阪朝日新聞掲載の写真 大正15年12月>
加悦鉄道の開業を報せる大阪朝日新聞の記事中に写真がありますが、加悦2号蒸気
機関車は確認できますがその他の車輌については、不鮮明で残念ながら車輌の形
式等の確認はできません。
開業1年後には、急増する旅客に対応するため、中古の付随客車2両(鉄道作業局
新橋工場製ハ4995、ハ4999)を購入しています。
「加悦SL広場」の旧加悦鉄道加悦駅舎を模した、駅舎の改札口を抜けると、駅舎と
直角に続くホームがあります。ホームを挟んで、今にも出発せんばかりの二編成の列車が、
静かに佇んでいます。加悦SL広場エントランスの光景です。この2列車に付随されている
客車「ハブ3」と「ハ4995」(いずれも明治期の客車)が今回ご紹介する客車です。
■ 付随手荷物緩急車「ハブ3」
明治22年(1889)ドイツのフファン・デル・チーペン社(Van der Typen)で製造された、荷物
室と客室をもつ2軸の木造手荷物緩急車です。当時の列車には、貫通ブレーキ(運転手
の操作で列車の全車両に一斉にブレーキを掛けることができるブレーキ)がなく、機関車、客
車などはそれぞれ単独にブレーキ操作をしていました。
外観上は、客室側にオープンデッキがあり、大きな荷物扉とステップが特徴です。今では
ほとんど見られなくなった松葉スポークの車輪(車輪のボスからリムへ2本1組の松葉を広げ
た形のようになっているスポークをもつ車輪)を履いています。
大正11年(1922)に、鉄道省より旧伊賀鉄道(旧近鉄伊賀線の前身)に払い下げられ、
旧伊賀鉄道で、室内照明が石油ランプであったものを蓄電池による電球照明に改良、
また大正14年(1925)に鉄道省が行った自動連結器一斉換装に呼応して、ネジ式連結
器を自動連結器に交換しています。
大正15年(1926)の加悦鉄道開業時に旧伊賀鉄道より譲受しましたが、前述のとおり修
繕を必要としましたので、実際の稼働は昭和2年(1927)7月でした。昭和44年(1969)に廃
車、その翌年には大阪の日本万国博覧会に、旧九州鉄道の蒸気機関車クラウス17号と
共に出展しています。
■ 付随客車「ハ4995」
鉄道作業局新橋工場で明治26年(1893)に製造された木造2軸車、木製車体部分は
国産の技術を使って製造されましたが、台枠用鋼材や鋼鉄製の車輪、車輌など走行装置
は輸入に頼っていました。鋼材の国産化は、官営の八幡製鉄所が製品を送り出し始めた
明治37年(1904)以降になってからのことでした。
この客車は、区分席式といって、客室内に座席が線路に直角におかれ、座席間の移動は
できない構造で、背もたれは1本の横はりで背中合わせに着席するようになっている非貫
通型客車です。側面には4ヶ所の外開きドアが並ぶいわゆる「マッチ箱客車」とよばれて
いました。
昭和3年(1928)鉄道省より同型の「ハ4999」とともに譲り受け、旅客輸送に活躍後、昭和
10年(1935)に下回りの走行装置はそのままに、木製の車体を取り外して貫通型の客車に
改造しました。取り外した木製の旧車体は、加悦駅構内で倉庫として使用していましたが、
驚くことに35年後の昭和45年(1970)に、再び木製の旧車体を使って「ハ4995」に復元した
ものです。いわゆる「マッチ箱型客車」の希少性を重視し。後世に残すべきと判断したものです。
国内にはほとんど現存していない極めて貴重な客車です。
大阪市の交通科学博物館「昔の鉄道駅」コーナーに展示されている客車は、この「ハ4995」
のレプリカです。
明治、大正期の古典木造客車が、車内も見学できる状態で5輌も展示されているのは、
「加悦SL広場」の他にはありません。いずれも産業考古学会の「推薦産業遺産」に認定されて
おり、与謝野町の指定文化財でもあります。まさに後世に伝えるべき文化遺産といえます。
4号蒸気機関車の牽く丹後山田行き旅客列車 昭和12年(1937)