《 鯖街道々中記 》 京は遠ても18里

                       第2巻

         〜日本酒愛好家4人組 鯖がつないだ歴史街道を往く〜

今回は、第1巻『10月25日(火) 出発地鯖街道基点 小浜市 〜 朽木(宿泊)まで』に続き、
二日目26日(水)朽木 〜 27日最終目的地京都出町柳までの43.9kmの旅をご紹介します。


 10月26日(水)2日目。空は厚い雲で覆われている。谷口隊員は、今日は降らないと言う。昨日のことも
あり半信半疑で雨具をしまう。朝食はコンビニで取ることにし、7時半宿を出、昨日拾ってもらった支所まで、宿
の主人に送ってもらうことにする。途中、宿の主人は『コンビニまで送る』と言うが断固断る。とにかく支所まで送っ
てもらい、お礼に、鯖の代わりに大事に運んできた谷口酒造の銘酒「丹後王国」の入ったワンカップ(大)の酒を
3ヶ渡す。喜んで受取ったところを見ると相当好きそうだ。朝食は約500m離れたコンビニの駐車場ですます。

 8時10分コンビニを出発。国道367号は「花折トンネル」まで、安曇川に寄り添うように続いている。隊列は
昨日と同様、松田隊員を先頭に奥村隊員、谷口隊員と続き、しんがりを宮本が務める。松田隊員は軽快に
他の隊員を引っ張っている。奥村隊員は、昨日の雨中行軍で風邪を引き薬を飲んでいたが思ったより元気であ
る。谷口隊員にいたっては、90kgを越える巨体でよくもまあ歩けるものよ、と感心するほど快調である。

 「朽木」には、「とちもち」保存会があり、美味しい「とちもち」を道の駅「くつき新本陣」で売っている筈であるが、
時間を惜しみ素通りする。今日は「坂下トンネル」「花折トンネル」「途中トンネル」と大きなトンネルを3本越える、
上り20km、下り12kmの道程である。一番高い所は「花折トンネル」入口で、標高476m。既に200mほ
どの所にいるのでさほど急ではない。

  安曇川(あどがわ)について一言    

  京都府丹波高地に源を発し、同高地と比良山地に挟まれた「花折断層」の渓谷を北流、
  高島市朽木でほぼ直角に折れ東に向かい、高島市安曇川町
で琵琶湖に注ぐ、
  淀川水系の一級河川。流路延長52kmは琵琶湖に流入
する河川では、野洲川に次ぐ長さである。
 

安曇川沿いに国道367号を進むこと30分、突然、奥村隊員が「くつきそば永昌庵」近くで公衆便所を見つけ
飛び込む。歩いたため胃腸が活発に動き出したのか、それとも風邪のせいでOPPか。10分ほど休憩し、8時50分
出発。この頃から雲はなくなり一面晴れ渡ってくる。

        
        安曇川沿いを南に進む                           高島市と大津市の市境の看板の前で
9時20分、栃生発電所を通過。そこでは発電用タービンの取り替え工事をしていた。見学したかったが時間がな
かったので通過する。
9時45分、高島市と大津市の市境に着く。「また起こしやす高島市 ゆっくり走ろう鯖街道
」と大きな看板が人目を引く。
10時15分、県道783号との合流点「葛川梅ノ木」に着く。トイレをすませ、ペット
ボトルを補給し再び歩き出す。
途中、地元の人に「花折トンネル」までの距離を聞く。返事は『すぐそこだ』であった。
少し先に止まっていたパトカーに同じことを尋ねる。『あと5km。ずっと上りで手前に坂下トンネルがある』さすがお巡り
さんであった。
11時35分「坂下トンネル」下旧道入口に予定より5分遅れで到着。旧道に入りしばらく進むと「この
先冬季期間通行止」とあった。この辺りは雪が多いのか。やがて道幅が狭くなり、木々が生い茂ってきた。念のため
熊除けの鈴を付け歩を進める。安曇川はますます清く、細くなり横を流れている。

      
      「坂下トンネル」を迂回し旧道を行く                      安曇川上流 水は澄み清らかである
 12時40分、予定より20分遅れで「花折トンネル入口」に到着。そこでは峠の茶屋「花折」が、まるで鯖街道を
通る旅人を慰めるかのように我々を迎えてくれた。早速荷物を降ろし昼食にする。3名鴨なんばのうどんを注文。
『せっかく鯖街道を歩いて鯖を食べないのはけしからん』と、奥村隊員のみ鯖寿司を注文。鴨なんばは、麺はしこし
こ、鴨肉は柔らかく大変美味であった。鯖寿司もまた美味しそうで、やはり本場物は違うと旨そうに平らげていた。

      
          「花折」の看板の前で                      「花折」の前の景色 左下に柿の木がある

 「花折」の前には、たわわに実った柿の木があり、店の女性は『珍しいので、京都市内から写真を撮りに大勢人が
来る』と自慢していた。内心『この位の柿の木なら、わが住まい須津には幾らでもあるな』と思いつつも、後で写真を
撮ってもらう都合もあり、なるほどと関心した振りをして聞く。
13時20分、40分遅れで峠の茶屋「花折」を出発。
ここからは次の宿泊地、大原まで約11kmずっと下りになる。「花折トンネルは」は中を「途中トンネル」は旧道を通り、
松田隊員持参のウイスキーを気付け薬に、アスファルトの道路をただひたすら「湯元 大原山荘」を目指す。
                 

                       「途中トンネル」を迂回し旧道を行く

16時「大原山荘」着。『たのもー』と早速受付を呼ぶ。これが昨日の宿と打って変わって愛想が悪い。笑顔もなけ
ればこちらの顔もまともに見ない。やや気分を害しつつ部屋に案内される。他の3人は部屋に入るや、ここまで運ん
できた丹後の銘酒「丹後王国」を酌み交わし始めた。その席に加わらず、すぐ風呂に向かう。風呂は小さく薄暗く昔
の湯治場を思わせたが、湯は良質で、特に露天風呂は最高であった。しばしの間、相客と雑談を交わし疲れを取る。
夜の食事は地鶏のすきやきで、鶏は「名古屋コーチン」だそうである。酒は伏見の銘酒、東京八重洲口にも店を構
える「玉乃光」1種類のみとする。疲れた身体に最高の薬であった。今夜は4人相部屋、とても眠れそうにない。
 
   
   「名古屋コーチン」の鍋、残念ながら食べ終わった後         大原山荘の前で 谷口隊員の変わりに狸に入ってもらう

10月27日(木)3日目。いよいよ最終日となる。今日は谷口隊員から情報を得る必要がないほど空は晴れ渡っ
て雲一つ無い。私の足はもうずたずたである。両足とも踵に大きな水ぶくれが出来、右足は特にひどく、親指と中指
の爪がダメージを受け、親指の下に水ぶくれが大きく膨れ上がっていた。昨夜水ぶくれは焼針で水を抜くも、爪はいか
んともしがたく、バンドエイドを幾重にも貼る。今日は高低差230mの下りの道程である。下りは足に響く。案の定
靴を履くと痛みが脳天を刺す。しかし他の隊員は元気だ、無事に踏破したら「伏見」に行き、一杯飲もうと話を決め
ていた。

 9時10分、宿を出て寂光院に向かう。今日はゆっくり寂光院と三千院を見学して目的地に向かう予定であったが、
三千院は宿から約1.5kmの上りのためパスし、寂光院のみとする。
 寂光院は50mほど奥にあった。素晴らしい
山門に迎えられ中に入る。本尊は、聖徳太子作と伝えられる六万体地蔵尊であるが、平成12年5月の火災で損
傷し、復元されたものが安置されている。手入れの行き届いた院はこじんまりとまとまり、歴史を感じさせる古刹であ
った。

 小さな本堂には、大きなご本尊が安置されていた。その姿に威圧され、つい案内の女性に『ご本尊は怖いお顔を
されていますね』と言ってしまう。女性は横を向いてしまった。すかさず松田隊員が『日頃行いの悪い人には、尊い仏
様が怖く見えるのは当然である』と言い、私も座り直し『改めて下から見上げると、お慈悲に溢れたお顔をしておられま
す』と言い直す。女性の顔に笑顔が戻った。

         
            寂光院山門への上り口                         寂光院本堂:こじんまりとした檜皮葺きの美しい本堂

 9時40分、寂光院を後に最終目的地出町柳に向かう。途中「志ば漬けの土井」本店に寄り土産を買い、10時
35分店を出る。この辺りから車が多くなる。歩道のないところは大型車が来ると怖いほどである。その中を4人黙々と
高野川沿いに下る。空はあくまでも紺碧である。松田隊員、奥村隊員は元気だ。谷口隊員も若いだけにこれも又元
気である。私の歩幅は少しずつ小さくなり、先頭の姿が時々見えなくなる。それでも要所要所では、遅れた私を待って
いてくれた。
  高野川について一言
   
途中峠の南部に源を発し、国道367号と並行して南流する、淀川水系の一級河川である。
    出町柳橋のすぐ下流で賀茂川と合流し、鴨川となり桂川に注ぐ。 流路延長17km
    我々の目的地「鯖街道終点地」は、出町柳町の京都御所側にある。

 11時30分八瀬霊園前通過。12時宝ヶ池通過。あと4kmほどで目的地に着く。他の隊員に先に行くよう促し、
一人高野川河川敷に降り、歩く。高野川は川底が見えるほど澄み、温かい日差しの中散策を楽しむ人、絵を描く人、
弁当を広げる人、肩を寄せ合う人、様々である。ようやく出町柳橋に到着。石碑は反対側の橋の袂にある。痛い足を
引きずりながら橋を渡る。先頭から遅れること約1km、13時丁度に目的の鯖街道終点碑に着いた。そこには達成感
に満ち溢れた隊員達が笑顔で待ち受けていた。仲間とは有り難いものである。その笑顔を見た途端、疲れが何処かに
吹っ飛んでしまった。皆で無事鯖街道を踏破したことを喜び合い、石碑を囲み記念撮影をする。石碑には「鯖街道口 
従是洛中」と刻まれていた。それにしても75kmは長かった。つくづく昔の人は偉かったと、ただただ感心するのみである

    

          鯖街道終点碑                               鯖街道終点碑を囲んで
                                        後列左から   奥村克美 松田健男 谷口 鴨
                                        前列           宮本光雄

ここで予定を変え、「伏見」に行かず、京都駅八条口「総兵衛」で祝杯を上げる。酒は谷口隊員が3種類注文し、
それぞれの味を楽しむ。それにしても良く飲む隊員達である。飲み出したら話題が尽きない。これで「伏見」に行ったら
その日は帰れなかったであろう。
 「総兵衛」を出る時、店の女将に鯖街道を歩いてきたことを告げる。『ほんまどすか、皆さんお若こうおへんのに大変
どしたやろ』と感嘆すること頻りであった。入店した時に言えば、ひょっとしてお酒のサービスがあったかも。もちろん、帰り
の車中でも盛り上がったのは言うまでもない。

                   

                      「宗兵衛」での祝杯 つまみが未だ来ないのに
                      飲み始めている隊員

思えば酒の勢いで挑戦した鯖街道も、踏破した今、苦しいこともあったが達成感で一杯である。隊員には大変迷
惑をけたが足さえ遣られなければと、日頃の無鍛錬・無節操を棚に上げ、早や次なる挑戦に思いを馳せている。
「アラ・ナナ」世代も捨てたものでなく「一念通神」やれば出来る事を証明出来たと思っている。今回の挑戦は、わが
生涯最大の勲章になるであろう。
 隊員の皆様、大変ご迷惑をおかけしました。今回の体験で種々のノウハウを身に付けることが出来ました。これから
もいろいろな事に挑戦して行きたいと思っていますので、これに懲りず次回も宜しくお願いします。

後日談

 私の足は思ったより深手であった。医者は『右親指の爪はダメであろう。2週間もしたら剥がれると思うが、自分で出
来なければ私が剥がしてやる』と、悲鳴をあげる私をまったく意に介さず、話はもっぱら鯖街道に終始した。
それでも歩くということは素晴らしい事で、動脈硬化の目安となる「悪玉コレステロール(LDL)÷善玉コレステロール
(HDL)」の値が画期的に改善され、今まで3近くあったものが、1.1に下がっていた。ちなみに2を越えると動脈硬化
になり易いそうである。

                                                平成23年11月30日
                                                  鯖街道颯爽と歩き隊
                                                  隊長 宮本 光雄 記